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大槌便り 第3章:安渡子ども まつり

8月1日 21時に恵比寿を出発し、バスで一路安渡小学校を目指しました。高校生を含む同乗者が15名。2時間おきの休憩(ここで運転手さんが交代になります)、段差のある東北道では、熟睡とはとはいきません。しかし高校生の体力はさすがです。緊張もあったかもしれませんが、おしゃべりに花が咲いていました。

朝方は肌寒く感じ、一枚羽織らないといけないぐらいでした。前沢SAで朝食を取り、釜石道を抜けて、遠野市から仙人峠道路を通り、釜石市街地に入ります。

釜石駅を過ぎ、大渡橋を抜けると眼前に、目を疑いたくなるような悲惨な光景が飛び込んできます。高校生は言葉を失い、自分の目にこの光景を焼き付けるかのように乗り出しながら見入っていました。沿岸から離れ、高い位置にくると津波の被害がなくなり、震災前とは変わらない光景が広がることも、大きな衝撃となりました。両石地区では、破壊された防波堤の跡、壊滅的な鵜住居地区、そして大槌町の光景と次々に目に入ってきました。

大型バスであったので、安渡小学校入口で下車し、歩いて安渡小学校に向かいました。
実際に自分の足で津波の痕跡の残る土地を歩きました。バスの中にはない360度に広がる世界です。

安渡小学校に着くと、アジトの面々が出迎えてくれました。ぽっかりあいた空間がそれぞれの距離を感じさせました。互いに緊張ぎみ、気恥ずかしさもあったと思います。たどたどしい自己紹介。そしてそれぞれ「安渡子どもまつり」の準備に入りました。縁日のような雰囲気で、飲食コーナーは焼きそば、焼き鳥、焼きトウモロコシ、かき氷、綿あめ。ゲームコーナーはストラックアウト、バルーンアートを行いました。

このまつりは、アジトの高校生グループを交えて企画しました。渋谷で居場所づくりをしている「渋谷ファンイン」の支援者も加わり、東京からは総勢20人ほどが訪問しました。

子どもたちが集まり、一緒に遊びました。アジトのグループは、その日のために、自分たちの仲間や小中学生にチラシで広報をしてくれたこともあって、たくさんの子ども、大人が集まりました! 

「久しぶりにいい一日になった。笑顔が戻ってきた」「ここの高校生が頑張って子どもたちを集めてくれたおかげ・・・」地区の人々から久しぶりに高校生グループへの感謝の声が聞こえてきました。

7月いっぱいで避難所が基本的に閉鎖になりました。避難所だった教室には保育園が開設されていました。「避難所だった体育館が使えるようになったので、これからもスポーツやイベントなどをしてほしい」・・・子どもの元気は地域を明るくします。地区の人々の心からの声のように聞こえました。

時間が経つにつれて、お互いの距離が縮まり、子どもたちともに、ドッジボールを行いました。楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。

「もっと時間があればいいのに・・・」なごり惜しい気持ちをもちつつ、お別れの時を迎えます。物理的な距離を縮めるためでしょうか、メール交換会となりました!赤外線通信が力を発揮していました。そしてバスに乗り込み、本日の宿泊先になる盛岡市玉山区日戸に向かいます。

だいたい3時間かけての移動です。サポステの方々の計らいもあり、高校生と先生は民泊することになりました。また夜はバーべーキューをしていただけるとのことでした。

着いたのはキャンプ場、地元の食材満載です。民泊先を紹介して、顔合わせ、交流を行いました。あいにくの雨中となりましたが、キャンプファイヤーもしていただき、大いに盛り上がりました。

翌朝9時までの短い時間でしたが、朝食でも地元の食材や朝取り野菜、それぞれお土産までいただき、なかなかできない体験をしました。お別れに「さよなら」の方言として「あばやー」を教えていただき、「あばやー」と声を掛け合い、玉山区日戸を後にしました。

安渡子どもまつりのチラシです。

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ピアサポーター・ユースワーカー・現地調査担当
石川 隆博Profile

公開日:2011年9月3日