新しい年度がはじま
日本財団ROADプロジェクトの助成を受けて被災地への支援活動を始めるにあたって、現地を訪問したのが5月の連休明けでした。当初は、特に甚大な被害を受けたと報道されていた宮城県石巻市での炊き出しを計画していましたが、岩手県沿岸部の陸前高田、釜石、大槌等の市町を訪ねる中で、都市部から遠い岩手県沿岸部は支援の手も届いていないこと、それ故に置き忘れたかのような被害の深刻さと出会うことになり、復興への時間の長さを思い知らされました。
当法人は、「中高校生の居場所」を、地域の日常性の中に作ることをコンセプトにしてきた団体であり、その活動を土台に困難を有する若者を支援しています。その延長に今回の被災地支援を考え、「炊き出しと、子ども・若者の心のケア」を目標に取り組むことにしました。
一方、いくつかの都立高校で、「奉仕」の授業で高校生と社会(世の中)をつなぐコーディネートを数年にわたって行ってきました。今年度は、学校と一緒に東日本大震災について考え、伝えることをテーマで実践することにしました。
その一つに、朝日新聞の記事「いま子どもたちは 震災を生きる」から、大槌町安渡小学校の避難所でボランティア活動をする、高校生グループ「安渡青年協力隊(アジト)」の存在を知りました。「同世代のつながり」の重要性から、広尾高校生とのメッセージの交換と交流をコーディネートすることになりました。
アジトは、釜石高校2年生の佐藤太地君を代表に安渡小学校卒業生の10代5人で結成し、校舎の雑巾がけ、物資の運搬、朝夕の炊き出しの手伝い、夜の防犯パトロールを行うなど避難所の仕事をしてきました。また子どもたちが遊んだり、
学習できるスペース(テント)に顔を出したり、避難所で暮らす子ども達の遊び相手になっていました。
サッカーゴールを活用した簡易拠点があり、活動以外の時間を過ごせる場をもち、テレビを見たり、たわいもないおしゃべりをしたり、それぞれが支えあう機能を果たしていました。しかしながら、私たちが初めて伺った6月18日の時点では撤去され、教室内の一部に移転していました。
佐藤君によれば、この活動のきっかけは実兄の影響とのことでした。3月11日、佐藤君は高校に行っていて、直接津波を見ていないそうです。学校で一夜を過ごし安渡の地を踏むのは翌日でした。その間兄は、大人に混じり率先して避難所での支援活動を行っていました。4月からアメリカに留学が決まっていた兄は、後ろ髪引かれる思いを、佐藤君にバトンをつなげ、旅立ちました。「津波を見ていないから自分は明るくしていられるんじゃないか」と自責にかられ、夜に動画サイトで津波の映像を探したこともあったと聞きました。仲間には家を流され、同級生や後輩を亡くした者もいる。様々な気持ちが交錯するなかで、「みんなでこうしていれっから、つらくないのかもしれない」、お互いが支えあい、助け合ってきました。
広尾高校1年D組作成のメーセージを手渡した時、「うれしいっす」とはにかんでいました。同世代との交流がスタートしました。新しいアジトの拠点に貼ってくれるとのことでした。今後も炊き出しに伺うとともにメッセージを届けることを約束しました。
7月3日の炊き出しでは、現場の大人の指導に従って、様々なことに挑戦していることを知りました。私たちが持ち込んだ切り身の魚を焼きます。焼き加減や魚を返すタイミングなど指示が飛びます。大人の叱咤激励に、みるみる内に腕が上達していきます。炊き出し後の机の片付けはアジトの日課で、手際がよかったです。若い力を発揮する一方で、AKB48の話題で盛り上がり、顔を火照らしていました。どこにでもいる高校生だと気づかされれます。
7月23日の炊き出しの時は、釜石商工高に通う高校3年生の佐藤翔君が参加してくれました。卒業後の進路で地元の水道会社を受験することを決めたと伝えてくれました。いろいろな選択肢があるなかで、同級生・小中学生のモデルとなる行動になるかもしれません。
8月2日、広尾高校生7名、教師2名とともに、安渡の方々の笑顔取り戻す活動と位置づけ、出店の運営と高校生間の交流を目的に「子どもまつり」を行いました。炊き出しでのアジトの面々の動き、そして今回の広尾高校生の動き、大人の中で叱咤激励されながら、顔つきが変わっていく、逞しくなります。お客さんが来て、言葉を交わせば笑顔が溢れます。「おいしかったよ」の声に自信も溢れます。怒濤のような出店運営の時間がすぎ、片付けも終わり、高校生間の交流を行いました。体育館で、小中学生も交え、ドッジボールをしました。それぞれがメールアドレスを交換し、屈託のない笑顔が浮かびます。緊張も解け、さあこれからというときに別れの時間となるのがもったいなかったです。
広尾高校生は眼前に広がる光景に言葉を失い、大きな衝撃を受けていました。佐藤君は「震災のことをいっていくのも仕事かなと思うから」と言ってくれています。これから本格的な交流がはじまります。
安渡小学校では、7月末で多くの被災者が仮設住宅に移りまいした。災害本部長佐藤稲満氏によれば、「8月10日は完全に災害本部は閉鎖になる」とアジトは活動拠点を失うことになります。安渡小学校には100世帯が入居する仮設住宅が建ち並んでいます。炊き出しでお世話になったお母さん達に話を聞けば、20分離れた仮設に入居しているとのことでした。安渡地区を離れ、生活を送られています。安渡小学校には250人もの方が身を寄せていました。みんなどこに行ったのかわからない。わかるのはごく一部だそうです。そんな声に地域の寂しさがありました。
佐藤君は「場所があれば、メンバーで集まりたい。」と話してくれています。アジトの動きは、将来の就職や生活への不安から、落ち込んでしまった高校生もいる中で、仲間と一緒に地域のボランティア活動をしながら、故郷再生に希望をつなぐ高校生と感じます。そして彼らを慕う小中学生がいます。彼らの活動を支える地域の大人が必要になっていると感じます。
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ピアサポーター・ユースワーカー・現地調査担当
石川 隆博(Profile)
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